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ラ・ラ・ラ・メディテーション

ラ・ラ・ラ・メディテーション

和尚無政府主義宣言

和尚無政府主義宣言
(これはイタリアで創られたOSHOのヴィジョンをマニフェストにしたものである。注 OSHO本人の文章ではない)

瓶


「瞑想の妖怪?」

妖怪が世界に忍び寄ってくる、

瞑想の妖怪だ。

その妖怪とは、新しい人間であり

過去のあらゆる束縛と迷信から解放された新しい人類だ。

古い世界の諸力は

この妖怪に対抗して

聖なる魔女狩りの名のもとに

一致団結した。 法王に大統領 僧侶、政治家団体……

「自己自身からの乖離?」
人は幼少時から社会的ゲームの中で特定の役割を演じるように仕向けられている。たとえば、子供という役割、息子や娘という役割、そのような役割への同化作用はごく早い時期から現れ、人は無批判的かつ全面的に特定のパターンに従うよう強制される。それによつて人は徐々に、自己自身との接触および自己の根源的な要求との接触を失うようになる。そしてその根源的要求は、特定のパターンに由来する要求に取ってかわられる。

「自然からの乖離?」 
人と自然との関係を特徽づけてきた「征服」と「収奪」という観念は、洋の東西を問わず世界中
に流布している。この観念の用に供するテクノロジーの発達があまりにも急速であるために、
それに伴う破壊的効果の研究はまつたくさびしい状態だ。

地球や自然や動植物に対するこのような無関心の原因は、何よりもまず、人が自己自身への
愛を欠き、根本的な要求を否定し、自分の「身体」という自然から遠ざかっていることだ。

「他者からの乖離?」
人間はほとんどつねに役割を通じて他者と関わっている。その結果として自己の根源的要求の表現が不能になり、その代わりに何を表現するかといえば、自分の同化する役割に由来する要求のみだ。

この同化にはたいへん根深いものがあり、我々はその役割になりきってしまい、その役割に対立するような他の役割人間が現れたりすると、我々は争いおこす。

マインド


「家庭と性?」
家庭にまつわる根源的なタブーのひとつに性がある。家庭は性的体験を社会的に受け入れ可
能な線にまで抑える。その結果、性は抑圧され歪曲されたものとなり、性の体験は、うしろめた
さや罪悪感の伴う、屈折した精神分裂的なものになる。

「黄金の籠?」
ここにおいて一般市民が夢見始めるのは、中央ヨーロッパ型の「国家家庭」モデルだ。そのモデルというのは、早目の引退、無料の医療サービス、三十六歳からの年金支給開始といったものだ。この「国家/家庭」は福祉社会という金色の篭を実体化するものだが、それと引き替えに生じるのが非主体性や画一性だ。つまり、冒険をしたり、別の道を歩んだりすることが阻害される。換言すれば「社会保障」の範囲外にある体験、つまり法律によって促進されていない体験が得にくくなる。


「組織宗教の役割?」
宗教的条件づけとは、条件づけの中で最も古く深いものだ。人類の歴史を通じて、文化の相違を問わず、うもののすべては、ナチズムや人種差別や排他的原理主義にも見る通り、根源はこの地盤の中にある。

現代社会は非宗教的イデオロギーを標榜し、もはや宗教的条件づけを脱却したかのようにみずから考えているが、こういっ太古の力は、形を変えて常に姿を現している。

「神の必要性?」
神は全智全能で不滅の父であり、遠くにいるが常に我々とともにあり、永遠に面倒を見てくれる。だが神は目に見えないものであるから、そこには一群の仲介者がいる。そして見ずラピラミッド型の組織を形成する。そのような力の背景に、イマム(イスラム教聖職者)や僧侶やバラモンや法王といった人々は、人間心理が必要とするような虚構のすべてを作り上げてきた。人
は神と話すこともできなければ、神を見ることもできない、それでも依然、人は神の存在を信じたいと思う。

「そして人は神を創造した?」
人が自らの形に似せて髪を創造するやいなや、最初の大きな嘘が生まれた。その嘘の上に、宗教と呼ばれる虚偽の全体が構築され、発展してきた。

「信仰?」
諸宗教が人類にもたらした最大の害悪は、宗敦のせいで人間が自分の内部の宗教性と隔絶されてしまつた点だ。

あらゆる宗教の最初の戒めは「信仰」という行為だ。その対象が神であれ、神の子であれ、聖典であれ。そして信仰という行為ほど、宗教性からかけ離れ宗教性と相容れないものはほかにはない。

「貧困?」
諸宗教は常に社会的な抑圧体制に手を貸してきた。最も残虐な体制についてさえも、諸宗教はそれを是認し、支持を与えてきた。東洋の宗教の中には、貧困は前世に犯した罪の償いだと言うものすらある。しかるに貧困は何ら精神性に関わるものではない。貧困とは人間の貪欲によつて生み出された状態であり、人はそれに対しあらゆる手段をもつて反逆する権利を持つ。

「慈善?」
慈善という観念の根底には、善行をおこなえば今世あるいは来世にその報いがあるという思いがある。すなわち慈悲の行為が投資のようなものになっている。「他人からされたくないようなことを他人にしてはならない」という言葉が、いつのまにか相互の取引のようになっている。これは人間の尊厳にもとることだ。

「道徳?」
諸宗教が人間を隷属状態に保つメカニズムは次の通りだ。第一に、人間を生まれながらにして罪ある不幸なものとする「原罪の末裔」だとか「過去生の犯した罪のせい」だとか。それから許しと蹟罪を提供する。
このメカニズムが働くための欠くべからざる一条件が、自己の本性の抑圧だ。

「教理教条?」
教理や教条の役割は、人間の行動を道徳に符号させることだ。あらゆる宗教は次のように言う、「真に宗教的な人間とは、誠実で、慈悲深く、思いやりがあつて、非暴力的な人間だ」。だが、自分自身の真理を知らずして、どうして誠実になれよう。
「私は誰か」という問いに答えられずして、どうして正直になれよう。

「自由な精神?」
いつの時代にも自由な精神は、真摯で誠実な姿勢をもつて、世の行動規範や偏見に挑戦し、諸宗教や社会的因習によって当然視されているすべてに疑問符をつけてきた。そしてそれによつて彼らは冷笑され、敵対され、あるいは沈黙させられてきた。ソクラテスやアナクサゴラス、ピタゴラス、ジョルダーノ・ブルーノ、ウィルヘルム・ライビ、あるいは和尚のような、権力側
から見ると脅威に映るような人間、つまり革新的で体制破壊的な人間が現れると、権力はいつも大衆の偏見を誘導して支持をとりつけ、彼らに対する迫害を正当化してきた。過去においても現在においてもだ。

「人類の和こそが問題の解決?」
ガンディーの戦いは、不可触賎民して寺院の門を開放することだった。彼がそれを勝ち得たとき、進歩派は歓喜した。それは民主主義に向けての勝利だった。
立憲国家における民主主義の擁護者は「寺院の門を万人に開け」を唱える。だが我々は「その寺院に神はいない。」と言う。

環境保護派の行動指針は「地球のゴミ捨て場化」の阻止であり、自然と調和した行動パターンの追求だ。だが我々の望むことは、あらゆる行動パターンを捨て去ることだ。自分自身の存在を知ることによって、おのずとその振る舞いは変わってくる。

「男と女?」
男と女はともに人間であるとともに、生物学的・解剖学的な相違点を持ち、それぞれ男性および女性エネルギーを帯びている。このことを認識し体験すれば、「男と女は違つてはいるが対立する存在ではない、違つてはいるが相互補完的な存在だ」ということがわかり、そのような存在としての男女の関係が可能になる。もし女が自分の男性的側面に気づき、それを受け入
れ、それを養い、それを生きるなら、もはや、「外側の男」によつて自己の(非現実的な)欲求や期待を満たそうという傾向も、だんだんなくなつてこよう。男についても同様だ。ひとたび自己の女性的側面に触れたら、ひとたびその側面との対話を築き上げたら、必要なときにそれを使うことができるようになり、それによつて彼はもっと「完全」になり、覚醒は増し「理想の女」の追求に取り憑かれることもなくなってこよう。

「瞑想?」
窓
瞑想とは本来、ごく自然なものであり、人間の本性に備わっいる存在的な状態だ。換言すれば、瞑想とは我々が忘れてしまっている自然な状態だ。たが我々の本性は、ちょうど地下水のように深いところに隠れている。だから何よりも大事なことは、少し掘ってみて耳を澄ますことだ。そうすれば静かに流れる水脈が見つかる。清冽な水の源泉が。問題なのは、どうやって瞑想の状態に入るか理解することではなく、どうして自分が瞑想の状態にいないのかを理解することだ。

「人格の仮面をなくす?」
瞑想とは自発性を回復する道だ。自然であるとはおのがはからいを捨てて、あねがままに身を任すことだが、そのような姿勢は、我々の条件づけによって、またそれに対する同化によって失われている。我々の身振りはすべてぎこちなく無様であり、我々の語る言葉はすべて長年の疑義によって台無しにされている。だが自然で゜あるという花は瞑想によって開く。人格という仮
面は除除にはがれ、「あるべきもの」が顕れる。少しづつ、驚きとともに、我々は見出す。もはやそこには何も隠れていない。

「私は誰か?」
そもそも我々という存在は、この問いを永久に不問に伏そうとしている人問たと言えよう。先だって我々は、大いなる情熱にかられ、世界を変革しようとした。その動機となつたのは、大いなる痛みであり、憤慨であり、無力感であり、怒りだった。ところがしばしば、名もない歓びや、自然に沸き起こつてくる宗教的な感覚や、生への信頼は、たとえ牢獄の奥深くにあってさ
え、我々のハートを温めてくれる。まさにその痛みのおかけで、我々はその根源の探究へと向かうようになったのだ。

「瞑想の妖怪?」

妖怪が世界に忍び寄ってくる、

瞑想の妖怪だ。

その妖怪とは、新しい人間であり

過去のあらゆる束縛と迷信から解放された新しい人類だ。

古い世界の諸力は この妖怪に対抗して

聖なる魔女狩りの名のもとに

一致団結した 法王に大統領 僧侶、政治家団体……




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